はじめまして。
心理カウンセラー・セラピスト、かわのみどりです。

わたしは、周囲との関わりの中で、
孤独感や苦しさを感じがちな女性が、
ありのままの自分を肯定し、こころの中から幸せを
育てていくお手伝いをさせて頂いています。

今、生きることに苦しさを感じているあなたへ。
自分がとるに足りないものように感じているあなたへ。
わたしのこれまでのお話をさせてくださいね。
(長いので興味のある方のみどうぞ)

—- 略歴 —-

愛知県生まれ。
学校卒業後、福祉施設・福祉センター等で12年相談援助、心理検査などに携わる。
2010年 独立。大分県宇佐市の自宅の一室でサロンをはじめる。
2013年 オリジナルのメンタルケア講座やセッションを本格的にはじめる。
2019年7月、大分県豊後高田市へ移転。
新しいセッションルーム&小さな図書ルーム「こもれびの部屋」をオープン

— 学んできたこと —-

・明星大学通信課程にて、教育心理学を学ぶ
・療育センターにて、2年間の心理検査実地研修 修了
・カウンセリングコース(宮崎・生と死を考える会 )修了
・心理カウンセラー、アートセラピスト 取得
・チャイルドセラピスト 取得
・コミュニティ・レジリエンシー・モデル  基礎・応用・実践 修了
・NVC(非暴力コミュニケーション)基礎講座  修了
・IFS(内的家族システム療法)初級・中級 修了
・AEDP(加速体験力動療法)筑波大学 エクステンションプログラム 修了
・量子力学、マインドフルネス、ヨガ哲学 他

人に心を開けない少女時代

小さな頃から、自分の世界で遊ぶのが好きでした。
空をみて、ぼーっとしたり、本を読んだり、絵を描いたり、お話や詩らしきものを書いたり。樹とお話したり。
「私は何のために生まれてきたんだろう?」そんなことをよく考えていました。

今思えば、音や場の雰囲気に敏感な気質のためもあったのかと思うのですが、学校に入っても、なかなか集団生活になじめず、ひとりぼっちでいることが多く、育っていく中であった様々な出来事より、「私は人より劣っている」「恥ずかしい人間だ」「人に合わさなければ」と思いこむようになりました。人に好かれるように。迷惑をかけないように。この場所で生きていくために。自分なりの「いい子」を演じながらも、心はどこか寂しく、人に心を開けないそんな子どもでした。成長してからも、その時々で友達ができたり、楽しいこともあったのに、心にヨロイをつけたまま。私は何かが人と違うのではないだろうか。何か人として大事な部分が欠落しているのではないか。そんなことをいつもどこかで感じていました。

 

頑張りつづけた会社員時代

学校を卒業して、障がい者施設に入社しました。施設長の口癖は『この仕事をするからには、1日24時間、365日目の前にいる方のことを考えなさい。』非常に理想の高い職場でした。仕事に熱心に打ち込む上司や仲間に恵まれ、私もそうなりたいと憧れました。施設内の勤務に慣れた3年目。地域支援のワーカーになり。施設の外で暮らす障がい者や家族の相談に乗るようになりました。

そこでは、今まで出会ったこともないような困難な環境や重度の障がいを持った方達に出会いました。経験も浅く口下手な私がそのような状況の方の相談を受けるなんて、荷が重すぎる役割でした。それでも、周りの方に相談しながら、出会う方の話をとにかくよく聴くこと。状況をできるだけ全体的に把握すること。必要な人や機関に相談したり、つなげていくことで、少しでも役に立ちたいと無我夢中でした。

どんどん人と知り合い、ご縁を広げていくこと、人前で話すこと、考える材料が集まらないうちに、決断しなくてはいけないこと等々・・私にとっては、苦手なことだらけで、上手くできないこと、失敗だらけの日々でしたが、25歳頃、障がい児の心理検査や勉強会を任されるようになり、県外の療育センターでの2年に渡る心理研修に派遣されました。ほぼ同じ時期、民間のカウンセラー養成コースを受講。2年後、大学通信課程(教育心理学部)に入学。日々の生活全てが仕事と勉強に埋め尽くされました。カウンセリングや心理学を学ぶのは目の前の人のためと思っていましたが、今思うと、幼い頃から生きづらい自分を何とかしたい。そんな救いも求めていたのかもしれません。研修やスクーリングで、飛行機に乗れるのが楽しみでした。ぱあっと自分の世界が広くなったような気がして、忙しいながらも充実した日々でした。

 

20代後半、仕事はますます増え、責任も増していきました。胃からの出血で入院を繰り返し、過食がひどくなり(摂食障害の症状は19歳の頃からありました)夜間休日も関係なく、相談の電話やファックスが続き(自宅にも!)、心身共にヘトヘトでした。それでも、仕事を断ったり手を抜くなんてことはできませんでした。私がこの仕事を選んだのだから、関わることは全て責任を持ってしなければと思っていました。それは、目の前の方への気持ちも勿論ありましたが、どこかで人から認めてもらえるのは仕事だけ。ここにしか私の生きる場所はないと思いこんでいたからかもしれません。

何だか分からないけれど、いつも不安でした。仕事に集中できなかったり気力が出ないことが増え、時々大声を出したくなる位、訳の分からない苦しさや焦燥感がたまっているのに気づいていました。が、自分がどうしたいのか。どうしていいのかも分からず、逃げ場もなく、通勤途中でも涙がポロポロ出てとまらなくなるようになりました。

そんな日が続いたある日。全く起き上がれなくなりました。

 

 

うつ病になる

病院での診察の結果、うつ病でした。最初の職場は数か月後退職。大学もあと数教科のところでしたが中退。
半年ほど休むとすっかり良くなり、やはり「福祉の現場で自分を生かしたい」と決意。
その後、無理をしすぎないように気を付けていたものの、3番目の職場でまた仕事に追われるうち再発しました。

また、やってしまった・・。

2度目のうつはひどく、2か月で8キロ程やせ骨と皮だけになりました。生きる気力もなく何も考えることもできない時期が続きました。その後、少しずつ起き上がれるようになっても、外に出るのが怖く、ちょっとのことで落ち込んだり、体が動かなくなったり、なかなか良くならず、外に出れない1年以上続きました。

いつまで、こんな日々が続くのか。もしかしたら、一生続くのか。
先が全く見えずとても辛い日々でした。

ただ、どん底の状態まで落ち込んだことと、じっくりカウンセリング等も受け自分自身を見つめ直す中で、ようやく大切なことに気づけました。
ボロボロの私でも、何もできない私でも、周りの人の多くは理解してくれ、助けてくれました。泣くことも、愚痴をいうことも、許してくれました。そのままの私を受け入れてくれました。
立派な自分。いい子の自分でいなくては受け入れてもらえない。そう勝手に思いこみ、身体の声もきかずに頑張り続けてたのは私。人に頼ったり、信じたりできなかったのも私。

私が一番自分を信じず、私が誰より自分をいじめていたのです。
こんなことは、もうやめようと思いました。

・・・

そんなある日、散歩をしていたら、夕焼け空をみました。
金色にゆれる田んぼとコスモス。そして広い広い空。
目の前の風景があまりに美しくて、美しくて・・涙が出ました。

今まで理想の自分でいることや、誰かの期待に応えることばかりに必死で、
目の前にあるこんな美しいものに全く目がいっていなかった自分に気づきました。

小さな頃から、大好きだった自然や、樹にも
気が付けば、声をかけていませんでした。
なんて、もったいないことをしてきたのだろうと思いました。


もう一度、生き直そう。

今度は、もっと大切に生きよう!

世界の美しさとやさしさをちゃんと受け取って
本当に自分がしたいことをして生きていこうと決めました。

 

※うつ病を回復するにあたって取り組んできた具体的なことについては、この記事をご覧ください。

 

 

 

自宅サロンを始めるも・・

2010年はじめ、自宅アパートで小さなサロンをはじめました。

これまでの経験や資格は全部捨て、もっとシンプルな仕事をしようと決心。
在職中資格をとっていた、足とボディのトリートメント、パステルアートの講師の仕事をはじめました。
体のリラクゼーションと絵は、私自身が仕事で忙しい時、救われたものでもありました。忙しくストレスをためている女性が、少しでもほっとできるような場や時間を作りたいと思いました。

自宅の小さなアパートでしたが、備品を1つずつ揃えあれこれ考えるのは楽しい日々でした。
ただ、自己流でチラシを配った位でお客様は来られず、人脈も営業の経験もゼロではじめた自分の安易さにようやく気づきました。

お客様は、どうしたら来てくれるの… ?

週の半分は近所のサロンでアルバイトをしていましたが、貯金もなくなり、お金の不安がどんどん大きくなっていきました。

それでも再就職のお話は断りました。収入や立場が恵まれていることよりも、私は、「自分で自分の納得のできる仕事(人生)を作っていく」ことの方に興味があり、何より魅力的に感じられたからです。

 

 

私だからできることを仕事にしたい!

イベントやセミナー等に出たりしている中で、1人、また1人と、フリーで仕事をしている素敵な女性達に出会うようになりました。やっていることはそれぞれですが、その人だからこそできることで、輝いている女性は本当に素敵だと思いました。

私も、私が本当にしたいことを本気で仕事にしよう!と決意しました。私だからこそできることは何だろう?と改めて考えるようになりました。心理療法やヒーリング等、興味があるものを様々なところに学びにいったり、女性ビジネススクールにも通いました。志の高い仲間にたくさんエネルギーを頂き、その頃にはだんだん、私にもまだまだできることがある!と思えるようになってきました。

同時期、大きな決断をしました。
体の施術を辞めて、相談業をメインにすることを決めたのです。

体の施術や絵のレッスンの中で、
「みどりさんと話すだけで、心がすごく楽になる」
「話をきくだけのメニューはないですか?」
そんなことを言われることも度々あり、やはり話を聴けることは、私の財産だと気づきました。また、私自身も一度離れてみて、やはり人の心に関わることに関わりたい気持ちになっているのに気づいたからです。

・・

同時期、「幸せこころ講座」という連続講座を自己流でつくりました。自信がなく行動できなかった私が、自分を認め、大切にできるようになるようになった考え方や方法を、同じような悩みを持っている方にむけてまとめたものです。この講座は、2013年から昨年まで、13期まで開催し、優しく素敵な沢山の女性に受講して頂き、想いを共有できる大切な仲間ができました。

ただ、一方的に私の学びや経験を伝えるだけでなく、皆で想いをシェアしながら、皆の力で気づきあい成長していく。少人数の講座スタイルが私にとってしっくりくる形だと気づきました。

その後、新しい講座を作ったり、セラピストさん向けの勉強会を定期的に開いたり、イベント主催、講演会の講師、コラム執筆など、周りの皆さんにご縁をつないで頂いたお蔭で、活動が多方面に広がっていきました。

試行錯誤しながらでしたが、その一つ一つがご縁を広げてくれました。今は、私がより楽に集中できることを優先し、講演会やイベントなどは控え、セッションを中心にお一人お一人の方と関わらせて頂いています。

 

 

今、思うこと

2回目のうつ病でどん底だった時期から、10年以上過ぎました。
6年前に結婚をし5年前に息子も生まれ、その頃がうそのように、穏やかな日々を過ごしています。

人に気をつかってばかりの学生時代や、頑張ることがやめられなかった会社員時代。そして、うつ病。
二度と同じ思いはしたくない程、私にとっては辛い時期でしたが、それは私にとって必要な経験だったし、宝物だと感じられるようになりました。

その経験があったからこそ、私は心から伝えられることができたのだから。

 

自分がちっぽけでつまらない存在に思えたり、人との関係が上手くいかずとても苦しかったり、どう動いていいか分からないあなたへ。

今は信じられないかもしれませんが、必ず楽になる時がきます。
そのために、すごく大切なのは、あなたがあなたに向きあうことです。

あなたは、
何をしているとき、喜びを感じますか。
どんなとき、心地よさを感じますか。
どんな願いがありますか。
どんなことに胸が痛みますか。
どんな苦手がありますか。

人や社会の「素敵」や「スゴイ」ではなく、
あなた自身が本当に願う人生を生きることをはじめていきませんか。

 そうあなたが願えば、確実に未来はそちらに向いていきます。
その過程で、たくさんの人に出会い、世界が変わっていきます。

 

せっかく生まれたんだもの。
「私が私でよかった」「私で生きれてうれしい!」
そんな人生を作っていきませんか?

 

そのためには、
周りの人の力を借りてくださいね。

その一つとして、
私の経験や学びや存在が
何かのお役に立てたらこんな幸せなことはありません。

2017年 初夏 かわのみどり

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 かわのみどり
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